意外と知らない"学習指導要領の改訂"(vol.1)

意外と知らない学習指導要領の改訂(vol.1)

皆さんがご存知の通り、我が国では全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようになっています。そのため文部科学省では、各 学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準として「学習指導要領」を定めています。2030年以降の社会を見据えた、次期学習指導要領にはどのよ うな教育の将来像が盛り込まれるのでしょうか。第1~2回では学習指導要領の変遷を振り返ります。また、第3~4回では現在中央教育審議会内で議論されて いる内容を紹介します。

現在検討されている次期学習指導要領は、昭和22年に「教科課程、教科内容及びその取扱い」の基準として、初めて学習指導要領が出されて以来、昭和26年、33年、43年、52年、平成元年、10年、20年の改訂に続く8回目の改訂となります。

系統主義と経験主義の間を揺れ動きながら、ほぼ10年毎に改訂されています。あなたの小中高等学校時代のカリキュラムは、どのような方針の下で作られていたのでしょうか。順に特徴を見てみましょう。なお、系統主義と経験主義には次のような違いがあります。

 
長所
短所
日本の教育における
出現
系統主義
(教科カリキュラム)
 
※教材を教える
 内容を教える
文化遺産を系統的に学べる。
構成が簡単で評価もしやすい。
長い伝統があり教師も慣れている。
教科書中心、理解より暗記になりやすい。
知識注入に偏り、社会性の育成・創造性の伸長を忘れがち。
明治期から戦前まで
教育内容の現代化
基礎基本重視
学力低下論
経験主義
(経験カリキュラム)
 
※教材で教える
 方法を教える
学習者の興味・問題から出発するので学習活動が活発で効果的になる。
生活の場に密接に結びつく。
自主的学習が民主的価値を発展させる。
現在の問題に関心が集中し、 文化体系の習得が困難。
社会・文化の変化への対応が遅れがち。
学校や地域社会の体制が適切に整えられにくい。
大正新教育の児童中心主義
戦後の新教育(社会科)
生活科
「新学力観」
総合的な学習の時間
年表

(1) 1947(昭和22)年の学習指導要領:社会科、家庭科、クラブ活動を新設

1947年に国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭科が出され、2年後の1949年に体育科も刊行されました。このとき、社会科、家庭科、自由研究(クラブ活動など)が新たに設けられました。

社会科は、戦前の修身(公民)、日本歴史、地理の単なる融合ではなく、児童・生徒の生活経験や自主性、自発性を尊重し、自分達の属する共同社会・地域社会中心の問題解決学習を通して建設的、批判的な能力を育成する教科として発足し、1947年9月から授業が始まりましたが、具体的な内容編成や指導法は現場の学校に委ねられたため、あまりうまく機能しなかったそうです。

家庭科は、戦前の女子だけの裁縫・家事の技能教育の単なる融合ではなく、家庭生活全体にわたって、その改善に必要な知識・技能・態度を育成する教科として発足し、男女共に必修とされましたが、内容も技能教育中心で、男子の履修はなかなか進まなかったようです。

(2) 1951(昭和26)年の改訂:時間配当比率制定・毛筆習字の復活

教科間の関連が十分に図られていないなどの問題があったため、1949年には文部省(当時)は教育課程審議会(2001年に中央教育審議会に統合された)を設け、1950年6月に小学校家庭科の存否、毛筆習字の課程の取扱い、自由研究の存否、総授業時数の改正などについて、また1951年1月に道徳教育の振興について答申を受けました(現在も答申を受けて、改訂するという手続きがとられています)。

これを受けて、教科を学習の基礎となる教科(国語・算数)、社会や自然についての問題解決を図る教科(社会・理科)、主として創造的な表現活動を行う教科(音楽・図画工作・家庭)、健康の保持増進を図る教科(体育)の四つの経験領域に分けて、時間配当の大体の比率(小学校高学年で4:3:2:1)が定められたり、戦後廃止されていた毛筆習字を国語学習の一部として実施できるようになったり、社会科をはじめ各教科における道徳教育の役割が明確にされたりしました。また、家庭科は存続し、自由研究は「教科以外の活動」に発展的に解消されました。

(3) 1958~1960(昭和33~35)年の改訂:教育課程の基準としての性格の明確化

日本が工業化という共通の社会的目標に向けて、教育を含めた様々な社会システムを構想し構築していくことが求められる中で、国民の基礎教育という観点から、地域格差の是正、基礎学力の充実、科学技術教育の振興のための理科・算数の改善が要請されました。

これを受けて、国語・算数・数学の充実・授業時数の増加、理科・社会(地理・歴史教育)の充実、小・中学校教育内容の一貫化、道徳の時間の新設などが行われました。

この改訂では、児童生徒が活動を通して知識を学ぶ経験主義教育から、学問や科学の知識を系統的・体系的に理解することを重視する系統主義教育への転換が図られました。

また、独立国家の国民として個性豊かな文化の創造と民主的な国家及び社会の建設に努め、国際社会において信頼、尊敬されるような日本人を育成するための教育課程の最低基準として法的な拘束力を持つものになりました。

(4) 1968~1970(昭和43~45)年の改訂:教育内容の一層の向上(「教育内容の現代化」)

日本は、1964年に東京大阪間で新幹線が開通したり、東京オリンピックを開催したりと、世界の経済大国として歩み始めました。また、1957年に旧ソビエトが世界で初めて人工衛星打ち上げに成功し、危機感を覚えたアメリカで科学の基本構造はどの段階の子どもにも教えることができるという「教育内容の現代化」運動が始まりました。こうした社会状況の中で、「基本的な知識や技能を習得させると共に、健康や体力の増進を図り、正しい判断力や創造性、豊かな情操や強い意志の素地を養い、さらには、国家及び社会について正しい理解と愛情を育てる」という方針の下、授業時数が最低時数から標準時数に改められたり、研究のために学習指導要領等によらない指導を行えるようにしたりすると共に、教育内容の一層の向上が図られました。

学習内容が高度化し、量も増加したものの、指導方法の改善がすぐには追いつかなかったため、学習内容未消化の子ども達が目立つようになり、「七五三(シチゴサン)」、つまり学習内容がわかっている子どもは小学校で7割、中学校で5割、高等学校で3割ではないかという状況が問題となりました。

今回は、経験主義から系統主義(知識伝達重視)へ向かっていく過程をご紹介しました。次回は、系統主義から経験主義へと戻っていく過程をご紹介します。(当記事は2016年3月末時点の情報をもとに構成しています)

≪第2回へ続く≫

構成・文:内田洋行教育総合研究所 研究員 江本真理子

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